ふくしま訪問記(3/24〜26)
月日とともに、ニュースや新聞等で復興の様子が報じられることが少なくなりました。記憶は風化させてはいけない。そんな思いを胸に福島と大分を繋ぐ福島交流訪問を今年も実施しました。
【1日目】
朝5時に大分駅に集合し、大分空港へ。羽田空港から東京駅に移動し、新幹線を使い福島へ。
コープふくしまのみなさんと合流し新地小学校に到着。昨年の夏にふくしまっ子応援プロジェクトに参加した子どもたちと再会。大分からのお土産にデコポンをプレゼントしました。
線量計が学校内の敷地にある。運動不足による体力低下と肥満傾向児の出現率が全国で一番になっているといいます。除染も進み、屋外での運動も徐々に出来るようになってきたようです。
3年前に植樹した復興の絆「豊後梅」に蕾が。豊後梅の前で記念撮影。
新地町役場に移動し、加藤町長より新地町の様子をお聞きしました。新地駅前周辺市街地整備事業を計画。高台に移り住まれる方も少しずつ増えている様子。
翌日は、相馬市から国道6号線を南下、甚大な被害を受けた南相馬市小高区→浪江町→双葉町→大熊町→富岡町と移動。線量計は小高区で0.13μSv/hだった数値が徐々に上昇。東京電力福島第一原発付近では、10μSv/hに跳ね上がることもありました。放射線による汚染土が通行止めより先にの場所にたくさん積まれています。何ともいえない異様な風景です。
富岡町夜ノ森付近を通過中「住居への立ち入りは朝9時から夕方4時までとなっています」と退去を促すアナウンス。住む家があるのに暮らすことができない方々への心中を察すると居た堪れない気持ちになりました。
沿岸部ではいまだに倒壊寸前の家屋が点在しており、防波堤付近では復興作業が行われてはいましたが、少し内陸部に入ると依然手付かずの状態でした。
福島市北矢野目にあるJA新ふくしま農業協同組合を訪問。震災当時、福島農産物に対しての恐怖心が蔓延し販売に苦慮した話や安全性を示す為に設置したこと。安全・安心な農産物を販売する仕組みを構築し風評被害を払拭する努力を行って来たことなどJA新ふくしま農業協同組合代表理事の菅野組合長からお聞きすることができました。
【3日目】
最終日は、大分から支援物資として「半纏」をお送りした仮設住宅の一つである、飯館村松川第二仮設住宅を訪問
炊き出しでは、大分の郷土料理「だんご汁」を作りました。使い勝手の良さに定評のあるコープの冷凍野菜を今回使ってみました。
手間もかからず、何よりおいしい。
サロン活動では、大分から持参した桜の樹のイラストに仮設住宅のみなさんと一緒に折り紙で花びらを作り満開にしました。
店舗事業部の廣瀬本部長が「となり組」を熱唱!!後藤組合員理事による脳トレや高司組合員理事による読み聞かせなど、みんなで楽しいひと時を過ごしました。
以前、ある新聞に「この4年間は生きる事に必死だった。今後、現実と向かい合い支え合い生きていく」とありました。写真で見て取れる光景以外に目には見えない、肌では感じる事のできない福島の現実と、復興への努力、地域の強い絆を現地に行ったことにより感じることができました。復興には、まだまだ長い年月を要すると思います。今後もコープふくしまや関係者の皆さまとの絆を大切にし、交流を深め、福島の明るい未来を共に創っていけるよう、寄り添い、支えあって行きたいと思います。