ふくしま復興支援ブログ

~大分と福島、交流の記録~

17.ふくしま訪問交流会にて〜福島の地に根付いた豊後梅に末永い復興支援活動を誓いました〜

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時松組合員活動スタッフ報告書より

2013年3月25日(月)〜27日(水)
 福島訪問交流報告
コープおおいたでは、震災直後、福島の被災地に支援活動に入ったことをきかっけに、コープふくしまと協力しながら、支援活動や交流を継続してきました。
 今回は3月25日〜27日の3日間、コープおおいた組合員理事2名、職員4名と日田市民生協役員1名、取引業者3名の総勢10名で福島訪問交流を行いました。

福島の生産者との交流会
〜厳しい検査基準と風評被害の払拭に努力されていました〜
 
1日目は、コープおおいた「がんばっぺふくしま」カタログに企画された福島の野菜ボックス(数種の野菜セット)、復興支援朝市や生産者交流会の商品調達など、買い支え支援の一端を担っていただいている福島中央市場内の取引業者と生産者との交流を行いました。市場が、風評被害を払拭し、安心安全の関所となるべく、厳しい基準と除染などの対策を行っているそうです。しかし、いまだに福島県産品のみであれば購入されるものも、他産地が並ぶとそちらを選ぶ傾向にあるのも事実とのことでした。また、除染が厳しい野山から取れる、蕨やたらの芽などの山菜類は、放射性物質の値が高くでると言うお話もありました。
りんご、桃などの生産者の高橋さんからは、果樹約500本を高圧洗浄機で、1日12〜3本ずつ樹皮洗浄を行ったことやセシウムを吸収するゼオライトを使った放射性物質の対策などのご苦労をお聞きしました。高橋さんにはコープおおいたに昨年と一昨年、9月に出荷されている大分では見かけない桜白桃などの晩生種を供給していただき大変好評でした。また、コープふくしまでも福島と大分の市場関係者を通じて、大分フェアとして大分県の農産品をこの間、23回供給を行っており、お互いの農産品などによる福島〜大分の相互交流も震災後継続されています。これからも関係を強めていくことを誓い合いました。最後にコープおおいた「がんばっぺふくしま」カタログ利用者からの応援メッセージを集めたパネルを6枚お渡ししました。福島市場内に掲示してくださるとのことでした。

生産者の皆さんと市場の皆さん


大分からお送りしたメッセージ

豊後梅を植樹した新地小学校への訪問
〜本当の通常に戻るためには長い時間がかかるといわれていました〜

 2日目は、2011年8月に福島と大分を結ぶ東日本大震災復興支援として、組合員から寄せられた扇風機と豊後梅と花の種(パンジー)を贈呈した小中学校23校のひとつである新地小学校を訪問しました。
 当日は、春休みでしたが、5年生の児童たちが新学期の準備のため登校しており、準備してきたノートと八朔を3名の児童代表に贈呈することができました。
 
報告交流では、渡邊校長より、震災直後から現在までの状況を説明していただきました。
残念なことに、町内で亡くなった116名のうち、児童が2名保護者が3名、家族が13名が津波の犠牲になりました。
 震災後の3月14日〜6月12日までは避難所として、体育館と北校舎各教室を開放し、学校へ避難者は最大時342名で名簿に名前を書かなかった方をいれると400人以上の方が避難していたとのこと。4月12日からある程度の制限はあるけれども学校を再開しました。
福島原発から約55km北に位置しますが、当時は0.4μシーベルト/hの放射線量があり、窓を開けたり、校庭にでることもできなかったそうです。線量が下がり、やっと校庭の土を除染することができたのですが、土は、どこにも持っていくところがなく、結局校庭の隅に埋められています。
また「重要なのは、この震災で心に傷をおった子どもだけではなく親も含めた全員の心のケアです」とお話しがありました。緊急時県からはカウンセラーを、京都からはスクールカウンセラーを派遣してもらったそうです。震災から1年たったころ、いろんな我慢を続けて、ストレスが蓄積された子どもに問題行動が現れ始め、問題行動がなく普通に生活している子どもも、本当は傷ついているのに我慢していることがカウンセリングすることで、わかったそうです。いまでも破壊された被災地が見渡せる2階図書館には、足を踏みいれることを嫌がる子どももいるとのこと。現在は、心のケアをすすめながら、様々なことを特別扱いにはせず、元の生活にルールに戻すようみんなで努力しているそうです。

しかし、環境の実状は少し線量の高いところへの遠足や畑で作物を育成する学習などには制限があり、保護者も含め線量が少しでも高いところには敏感になっているため、まだまだ本当の通常にもどるには時間がかかるであろうとのお話でした。
校庭にでてみると、除染後の土が埋められてその上が砂場になっているところや線量計が良く見えるところに設置しており、当日は0.17μシーベルト/hを指していました。目に見えない放射線対策のため、普通の日常の光景ではないことをひしひしと感じました。
 約1年と4ヶ月を迎える大分と福島を結ぶ「豊後梅」は、大分よりも2〜3週間ほど遅い春の訪れに、まだ少ないつぼみがふくらんでいました。できることはわずかかもしれませんが今後も豊後梅の成長とともに福島と大分の絆を大切にしていきたいと感じたひとときでした。


渡邊校長より(左)、現在の状況を説明していただきました。


コープおおいた組合員理事より贈呈の様子。子ども達は満面の笑顔で受け取ってくれました。


大分からはっさくとノートをお贈りしました。


一昨年お送りした扇風機もありました


南相馬の町と海が見渡せる図書


砂場に設置された線量計


昨年植樹した豊後梅につぼみが出てきていました

南相馬市被災地の視察
〜災害危険地区はいまだ手付かずのまま〜

 その後、コープふくしまの組合員理事のご案内で、新地町から相馬市南相馬市小高区飯館村など被災地視察を行いました。壊れた堤防や地盤沈下のため復興がすすんでいない様子を目の当たりにすることになりました。


家の基礎だけが残る相馬の風景


積み上げられた瓦礫

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松川浦大橋の道路あたりまで津波が到達しました。

特に最近やっと昼間だけ帰宅できるようになった原発から約15kmほどの災害危険区域である南相馬市小高区では、いまだ、手付かずの洗濯物を干したままの壊れた家、田んぼの中に置き去りのままの流された車、自動販売機などがそのままになっていました。駅には、学校から帰宅できなかった高校生の自転車も震災当時のままでした。町の中人気だったケーキ屋さんのブラックボードに書かれてあった「必ずもう一度ここで再開します」との誓いのことばが心に残りました。
残念ではあるのですが、日中も人通りが少なく特に夜は誰もいない町になるため、警察官が要所要所に配置され、空き巣などの不審者に対する警備が行われているとのことでした。
その後、いまだ居住することができない「飯館村」へ向かいました。ここでは、飯館牛(黒毛和牛)飼育や花の栽培など複合経営を強化していた地域でしたが、いまだ帰れない状況です。飯館で営んでいたコーヒー屋さん(焙煎が有名)が、現在避難先の福島市で、カフェを再開したというをお聞きしました「夫婦の記録」が本になっているそうです。


置き去りにされたままの自動車


一階部分が流された家屋


避難した状態のままの家屋

仮設住宅訪問
〜大分の郷土料理、だんご汁、鶏飯をおいしく食べていただきました〜

3日目は、福島市内の双葉町から避難されている方々の仮設住宅に訪問しました。大分と福島の組合員理事による、手遊びやオリジナルカルタなどでなごやかな雰囲気で交流がすすんでいきました。
お昼は、コープふくしま、ボランティアの皆さんとコープおおいたを始め大分の参加者の合作である大分の郷土料理の「だんご汁」や「鶏めし」の炊き出しを行いました。
「鶏めし」は、コープふくしま本部で、大分「吉野の鶏めしの素」使い、福島の米で炊き込み持ち込みました。
「だんご汁」は大分男性陣が中心に調理しました。味噌は福島県産で勝手が違い、入れる量の加減が難しく、仕上がりが心配でしたが、コープふくしまの皆さんの仕込みなど事前準備のおかげで、なんとか時間通りにそれらしく調理することができました。
仮設住宅のみなさんが「おいしい」と笑顔みせてくださったことにほっとし、その上おかわりをしてくださったことがとてもうれしく、こちらも元気をいただき、来てよかったと思いました。


コープおおいた理事による脳トレ体操


コープふくしま理事による「福島カルタ」取りをしました。


だんご汁の炊き出しの様子


コープおおいたからは八朔、日田市民生協からヒノキチップ(お風呂に入れます)がプレゼントされました。ヒノキチップの袋には地元高校生の思いをこめた絆の文字が刻まれていました。
日田市民生協さんからのヒノキチップの贈呈


 福島訪問交流では、訪問してみて実際目でみることで、これが日本国内で起こっている現実だということを痛感しました。当時から大きく変わっていない現状を私たち訪問したものが伝えないといけないと感じました。震災直後からコープおおいたは、支援と交流を続けています。福島の皆さんは、本当にこころよく迎えてくださり、ずっと以前から知っていた方々のようでした。この機会をいただき、いろんな方にお会いできたことで福島が身近に感じられます。距離は少し遠い大分からですが、コープふくしまや関係者の皆さんと協力し、できることを続け、より身近に感じられるよう寄り添い続けていくことが大切だと感じました。


仮設住宅前での集合写真