ふくしま復興支援ブログ

~大分と福島、交流の記録~

ふくしま支援交流会:続編

3月24日(木)2日目 参加者63名を大型バス2台で被災地視察。
飯舘村小高区浪江町双葉町大熊町⇒富岡町⇒楢葉町国道6号線を南に上りました。

除染した土が至るところに置かれている(飯舘村


視察の様子


小高区:流された車や瓦礫が片づけられています


小高区平原になっていたところが除染の土のフレコンパック置き場になっている


チャペルにがんばろう浪江


国道6号線からわきに入れないようにバリケード


国道沿いの建物にはいれないようここにも


福島第一原発の煙突


おびただく積まれたフレコンパック・・異様な光景・・今後どうなっていくのか


富岡町に入る避難指示解除準備地域で除染がすすんでいる


この家の裏が林で、野良豚が潜んでいる


富岡町夜ノ森の有名な桜並木


たくさんの作業員が除染・整備を行っている


とみおか”除染の駅“ほっとステーション


再生可能でない家は取り壊されている


福島第2原発付近・・フレコンパック置き場と焼却処理を行う施設(白い建物)


福島第2原発と焼却施設


宍戸常務より、各地の参加者へ詳しく説明


国道6号から望む福島第2原発、事故があるまでは、どこにあるのか知らなかったという声も


楢葉町・・かつては、発電所に勤めていた方々でにぎわった

2013年に訪れた時の小高区はまだ瓦礫や潰れた車が散乱していて生々しい津波による爪痕が残っていたことを思い出します。今回の視察では、瓦礫や車などは片付けられていたことに年月を感じました。その代りに除染された土を入れたフレコンパックが色んなところに山積みにされており、その行き先も定かではない問題が浮き彫りになっている異様な様子を目の当たりにしました。またフレコンパックは5年が寿命ということで、すでに破れたり、中が発酵しているためガス抜きなども行っていることをお聞きし愕然としました。除染を行ったところは、放射線量が下がっていることも事実で、飯舘村は、今回0.4μシーベルトで前回来たときよりも下がっていました。
その後、浪江町そして双葉町を案内していただきましたが、走っているのはトラックとパトカーなどでものものしい風景に驚きました。双葉町から大熊町にまたがり立っている福島第一原発に近づくと、一行に渡された「空間線量計」が、7〜8と変化し、狭い範囲でしたが、14.5μシーベルトまで上がり、けたたましい警報がなりはじめ、見えない放射能に怖さを感じた時間でした。しかし、多くの場所がそうではないので勘違いされないように伝えるときは伝えないといけないねと隣の方などと話ました。富岡町へ向かい福島第2原発の近くに除染の土の置き場と瓦礫などを処分する建物に案内していただきました。当時のままに残っていた建物が壊されている痛ましい様子が目に映りました。この様子を私たち訪れたものが風化しないように伝えていかないといけないと思いました。楢葉町では、原発で6,000人が働いていたときの名残りで、スポーツセンターや大きな施設が印象的でした。通りを分断して居住制限が違うことや除染をたくさんの人員で行って帰宅できるようにしているのに5%の住民しか帰らないということに胸がつまるような気持ちになりました。
 解決したり前に進んでいる課題もあるが、難航している汚染土や原発の冷却の問題などまだまだ時間がかかると感じました。私たちは、実際目で見たこと、聞いたことそして時間が経過して変わったことやこれからの課題を持ち帰り、一人でも多くの方に伝える行動を起こすことが大切だと痛感しました。私たちが見てと聞いたことは一部分だと思います。一人では微力ですが、より多くの方が目でみて伝える機会を行っていくべきだと思いました。
 このような機会を作ってくださった。コープふくしまの皆様、本当にありがとうございました。