ふくしま復興支援ブログ

~大分と福島、交流の記録~

ふくしま訪問2日目…その2

前回の2日目…その1
ふくしま訪問 2日目…その1 - 「コープふくしま」&「コープおおいた」交流ブログ

2日目の後半は、
帰宅困難区域と居住制限区域、避難指示解除準備区域の
3つの区域がある富岡町へ。
その後は、ひとつの集落ごと津波の被害にあった
いわき市の薄磯地区へ視察へ向かいました。


この写真が意味すること、
お分かりになるでしょうか。
道を挟んで左と右、帰宅困難区域と居住制限区域の境目なのです。

左の家々にはバリケードが張り巡らされいますが
右の家には自由に出入りができるようになっています。
家の片付けでしょうか、車も停まっていました。


線量計をかざすと、もちろんどちらも同じ値。
この道を境に、向かい合った家に違いがあるとは思えませんが、
しかし確かにここが境界線なのです。


いわき市へ移動中の道路沿い。
ふくしま滞在中、幾度となくこの黒い袋の山を目にしました。
ふくしまの地に残された数万もの黒い袋は
いままでもこれからも、人のくらしの中に決して溶け込むことのない、
異質な存在です。


薄磯地区に車が入りました。
海岸からおよそ500メートルの地点に
災害復興住宅が建っていました。
平薄磯の住民の皆さんがお住まいとのこと。
南向き、5階建ての住宅の位置から、海は見えませんでした。


㈱山六観光の震災語り部の男性の言葉です。

「潮が引いて、見たこともない位置まで砂浜が現れました、
 次は沖のほうから波が押し寄せ続けてました。
 波は、寄せて返す。この返すが無くなってしまっていました。
 海の水が、どんどんふくらんで、恐ろしくて。
 
 第2波が薄磯に来るまで、1波から40分ありましたから。
 もうこないだろう、家に帰ろう。
 そう言ってみんな、帰ってしまっていたんですね。」


避難していた住民の多くが、自宅に戻り
第2波が町を襲いました。
海岸線沿いの宅地は平たく、手前は木々の茂る高台になっていたため
押し寄せた海水は高台にせき止められ、水かさがみるみる増したそうです。

津波は来ないと思っていた』

ふくしま滞在中に、何度も聞いた言葉です。
自分自身も、地震後に十分な危機感を持って対処できているかというと
やはり、疑問が残ります。
絶対ないなんてことはない。この気持ちを常に持ちつつ、
誰しもが防災・減災のファーストペンギンになる必要があるのです。


コープおおいた 役員室 広報課 原田
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