ふくしま復興支援ブログ

~大分と福島、交流の記録~

30.温かな心を『はんてん』と共に(1/14)

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集められた「はんてん」や「ひざ掛け」を組合員理事のみなさんといっしょに整理をしました。


箱詰めし、宅急便で福島へ送り出し!

第1弾は12月末に、今回は2度目の送り出しです。


ご協力いただきましたみなさまにお礼申し上げます。ありがとうございました。

東日本大震災から、まもなく4年ですね・・・。

29.福島の仮設住宅へ『綿入れはんてん』を!(12/1)

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「はんてん」や「ひざ掛け」がほしい。福島の仮設住宅から要望がありました。
さっそく、組合員のみなさんへご案内する募集チラシを制作。
共同購入・個配をご利用の組合員さんにはカタログにセットしてご案内。店舗は店内掲示板に貼りご協力のお願いをしました。


組合員のみなさんにご提供いただいた「はんてん」や「ひざ掛け」


約90cm四方のダンボールが山積に!

電話での問い合わせも多く、「福島のみなさんのお役に少しでも立てたら」と、温かいお言葉をいただくことも多々ありました。

28.親子・ふくしま訪問ツアー(8/19-21)

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8月19日(火)から21日(木)の3日間、「親子・ふくしま訪問ツアー」が大分県の協力のもとに行われました。組合員さん親子のほか大分県職員の方も参加し事務局もあわせ総勢26名で福島を訪問しました。

訪問1日目 福島市相馬市
 貸切バスで約4時間をかけ第1日目の目的地、福島県相馬市でリンゴや桃の生産をされている高橋勘重さんの『桃・リンゴ園』に到着しました。参加者全員で園地に入り大切に育てられた桃を丁寧に収穫し皮を剥き、その場で試食。


とてもみずみずしくおいしい桃に参加した子どもたちも大喜び。


風評被害の影響もあってなかなか以前のようには戻りきれてはいませんが、震災前の8割近くまで回復しました」と話す桃・リンゴ生産者の高橋さん


訪問二日目 新地町南相馬浪江町
二日目は、新地町役場を訪問しました。


役場の屋上から見える海岸線には重機が入り、今春よりも少しずつではありますが復興が進んでいる様子が伺えました。


庁舎内では、ふくしまっ子応援プロジェクトに参加した子どもたちとの交流会を用意していただき、大分から参加したメンバーと交流することができました。大分から500名にのぼる応援メッセージをお土産として用意しておいたクリアファイルに入れ、大分での思い出の写真をまとめたCDとともにお渡ししました。また、大分からの参加者のお一人、今井登美子さんが手袋を使った人形劇のほか、プロジェクターを使った紙芝居『最後のとまと』を行いました。福島の子どもたちからのお礼のメッセージや同行された先生が作成したDVDの上映などしていただき、とても充実した交流ができました。


コープおおいたから参加の組合員今井さん


ふくしまっ子応援プロジェクトに参加していた子どもたちとの再会


午後からは被災地を視察しました。まず最初に訪れた小高地区。

本当にこの場所に街があったのかと疑いたくなるほど殺風景で、復興の進まぬまま、草木だけが生い茂った状態でした。車がひっくり返った風景はこれまでと何ら変わっておらず、復興の遅れをあらためて感じました。

バスは浪江町まで進み、立ち入り禁止区域まで近づきました

福島第一原発に近いこの場所では海岸線も近く居住制限地域にもなっている場所でした。
人影もなく、震災当時のままの価格表示がされたガソリンスタンドや敷地の回りが草だらけの店舗など、まさに時が止まったままの場所でした。臭いもなく、目に見えるものでもない放射線の恐ろしさを実感させられました。


訪問三日目 飯館村飯舘村第2仮設住宅
最終日は、昨日通った全村避難指示の飯館村の住民だった方々が集う「飯館村第2 仮設住宅」を訪問しました。

ここには108世帯200人余りが生活をしていますが、まわりには何もない田舎の不便な地域に位置しています。ここに住む方々は情報がないまま暮らしているなかで、突然線量の高い村として随分遅れて避難指示が出たことで有名になり、いつ帰れるかもわからない毎日をこの仮設住宅で過ごしています。今回ここでは、集会所でのサロンで交流し、だんご汁と吉野のとり飯の炊き出しを行ないました。たくさんの笑顔と「ありがとう」「おいしかった」の言葉に、こちらが力をいただいた時間となりました。



大分の郷土料理だんご汁を福島の味噌で味付け


仮設住宅のみなさんと楽しいひと時を過ごしました


みなさんと一緒に

ふくしまっ子応援プロジェクト(2014/7/24-28)

福島県相馬郡の子どもたち18名が今年も大分県で夏休みを満喫しました

7/24 歓迎レセプションで「ふくしまっ子宣言」を行ないました。

 今年で4回目(4年目)を迎えた「ふくしまっ子応援プロジェクト」。この企画は、東日本大震災後、福島原子力発電所の事故の影響を受け、未だ外出制限等を強いられている福島の子どもたちに、夏休みを利用して大分の地でのびのびと過ごしてもらうための企画です。
 大分県社会福祉協議会大分県ボランティア・市民活動センターが中心となり、県下各地の社会福祉協議会などの団体が集まり実行委員会を構成しています。コープおおいたも青木理事長が副実行委員長として取り組みに参加しています。今年は支援の輪が広がり、日田市民生協やエフコープ生協(福岡県)も協力し、福島の子どもたちをお迎えしました。
 福岡空港から日田市に移動し、歓迎セレモニーが行なわれ日田市の特産である「日田下駄」が子どもたちにプレゼントされました。翌日は大分市に会場を移し、『城島後楽園遊園地』や『うみたまご』、『田ノ浦ビーチ』でたくさん遊びました。『田ノ浦ビーチ』では講師からカヤックのオールの使い方を学び、カヤックを初体験。久しぶりの海に子どもたちから「時間がたりない!もっともっと海で遊びたい」といった声も出ました。その日の夜はCO・OPふらいるで、夕食会を行ないました。
 店舗委員会「育む会」の皆さんの協力による郷土料理のだんご汁ややせうま、オードブルとおにぎりが振る舞われ、大分市立高田小学校の子どもたちと保護者の皆さんも歓迎会に参加されました。高田小学校の子どもたちによる踊りが披露されると福島の子どもたちから御礼にと、それぞれの学校の校歌が披露されました。宿泊は組合員さんのお宅にホームステイ。ケガや病気もなく、元気に翌朝大分を後にしました。今年もたくさんの笑顔に、我々も元気をもらいました。私たちができることを、今後も継続していきたいですね。


7/25 城島高原パーク

7/26 田浦ビーチでカヤックシュノーケリング体験

7/26 うみたまご

7/26 夕食交流会

7/27 5グループに分かれてホームスティしました

日程
7月24日(木)新地町仙台空港福岡空港→日田市
歓迎レセプション、日田祇園、羽田多目的交流館泊

7月25日(金)日田市→別府市
『城島高原パーク』、希感舎宿泊

7月26日(土)別府市大分市
うみたまご』、『田ノ浦ビーチ』(海水浴・カヤック、シュノーケルなど)、夕食会、ホームステイ泊

7月27日(日)大分市→福岡県うきは市宗像市
地引網体験、北九州市玄海青年の家(泊)
7月28日(月) 北九州市太宰府市福岡空港仙台空港新地町
北九州市立環境ミュージアム見学、太宰府天満宮

26.「ささえあおう!ふくしまinホルトホール大分」(大分県主催)が開催されました(3/8)

 風評被害に悩む福島県の食の安全と安心について理解を深めてもらおうと大分県が「ささえあおう!ふくしまinホルトホール」と題し企画したイベントに、コープおおいたが協力しました。当日はコープふくしまのみなさんも駆けつけていただき、会津地方に伝わる郷土料理「こづゆ」の無料配布や福島県産のリンゴ、地酒やお菓子など約30種類を販売。大分の郷土料理だんご汁や吉野のとりめしや日田焼きそばの販売も行なわれ、2000人近い来場者で賑わいました。「ふくしま報告会」も開かれ、福島のリンゴ生産者・高橋勘重さんやコープふくしまの組合員理事の小澤さん、渡邊さんなどが震災から3年目を迎える福島の現状について報告しました。
 今回のイベントには報道関係者も多く集まり、新聞各社テレビ等でも報じられました。より多くの方に知っていただく良い機会になったと思われます。震災の記憶を風化させないためにもコープおおいたでは今年度も引き続きふくしま復興支援を行ないます。組合員の皆さん、よろしくお願いいたします。


福島県の出店メーカーさん


福島県の郷土料理「こづゆ」


ふくしま報告会の様子

ふくしま訪問記(2014年3月25日~27日)


3月25日から27日の3日間、吾妻山山頂にまだきれいな雪景色を残す東北・福島を訪問してきました。震災から3年、コープおおいたはふくしまに寄り添った活動を続けてきています。平成23年8月、新地町相馬市の小学校に豊後梅を寄贈して以来、恒例となったこの時期の訪問ですが、今年はうれしい変化が見られました。植樹して2年半、新地小学校の校庭の脇でたくさんの蕾を実らせた豊後梅。気の早い一つの花が成長の証を誇るがごとく、私たちの前で咲いてくれました。時の経過を感じる瞬間となりました。

訪問一日目 〜新地町
 さて、今回の行程では初日に新地小学校を訪れ、子どもたちに漢字学習帳をプレゼントすることから始まりました。この夏、「ふくしまっ子応援プロジェクト」で来県した5年生が出迎えてくれました。渡邊校長より代わりにいただいた記念誌には、大分体験に来た卒業生たちの思い出がたくさん綴られていました。その思い出は彼らの小さな胸の中にはっきりと刻み込まれ、きっとまたいつか思い出されるに違いないでしょう(ちなみにこの日の校庭のモニタリングポストの値は0・140μSv/hでした)。
 続いて、新地町役場に加藤町長を訪ね、近況のご報告と復興に向けた町の取り組み等をお聞きしました。役場に隣接する施設は当時、多くの方々が初期の避難生活をされていた場所であり、多くのがれきが横たわる惨状と困難を極める日常生活が同居した場所でした。今ではがれきも片付けられ、防潮堤と土地の盛土のために行き交うたくさんの県外ナンバーのダンプカー、海岸緑地公園や常磐線復旧への道筋などを見聞きし、水平線を一望する庁舎屋上から海岸までの光景を見ると復興への確実な足音を感じ、当時のことを思い出しながらも、私の中で3年間止まっていた時計の針がやっと動き始めたのを感じました(レポーターは直後の震災支援のなかで、この場所を訪れたことがあるため、このような表現にさせていただきました)。

新地小、校長室にて5年生と一緒に

新地町役場に加藤町長を訪ねました

新地町役場の屋上から見る被災地と太平洋

訪問二日目 〜相馬市
 相馬市では、マイクロバスが沈んだまましばらく放置されていた松川浦漁港も、津波が越えたとされる松川浦大橋も今ではきれいに整備され、いくつかの民宿も息吹を吹き返していました。震災直後、コープふくしまが移動販売を行なった「道の駅 南相馬」も通常営業を再開していました。この辺りから南下するにつれて、少しずつ田畑の景色に変化が見え始めます。がれきが片付いて除塩も終わっている所、除塩待ちの所、大きながれきだけが片付けられている所、そして当時のままの所など。かつては入れなかった20km内では、何もかも流されてしまった広大な土地に、車やトラクターなどが泥をかぶったまま放置され、もう住めない家が、自宅への愛着からか、家屋内が整理された状態で残されているのです。ゴミは線量の関係で勝手には処理できません。まさに八方塞がりなのがこの福島県なのです。常磐線小高駅にも立ち寄りました。この辺りは海岸線から少し遠いので、直接津波の被害はありませんが、日中の立ち入りだけが許される地域です。駅に止まったままのたくさんの学生の自転車が、今も置かれたままになっています。駐輪場の枯草にそっと近づけた線量計の値は、0.66μSv/hまで上昇しました。中通り地区への帰路に通った飯館村に設置されたモニタリングポストの値は1.60μSv/hを示していました。放射線量は目に見えず、ニオイもしませんが、距離ではなく方角と地形によって大きな差がある現状を、直接計器を通して目で感じることができました。

南相馬市小高地区の沿岸部の様子。福島第一原発から約20km程に位置します。住めない家屋はそのままですが、ぽっかり空いた一階部分はきれいに片づけられていました。

訪問三日目 〜飯館村
 最終日は、昨日通った全村避難指示の飯館村の住民だった方々が集う「飯館村第2仮設住宅」を訪問しました。ここには108世帯200人余りが生活をしていますが、まわりには何もない田舎の不便な地域に位置しています。ここに住む方々は情報がないまま暮らしているなかで、突然線量の高い村として随分遅れて避難指示が出たことで有名になり、いつ帰れるかもわからない毎日をこの仮設住宅で過ごしています。今回ここでは、集会所でのサロンで交流し、だんご汁と吉野のとり飯の炊き出しを行ないました。たくさんの笑顔と「ありがとう」「おいしかった」の言葉に、こちらが力をいただいた時間となりました。

飯館村第2仮設住宅 集会所

 今回、ご紹介できたのはふくしまの現状のほんの一部分です。もっとたくさんの知らない事実があります。わたしたちコープおおいたは、現地のコープふくしまさんを通して、ふくしまにずっと寄り添っていきたいと思っています。

つなげよう助け合いのこころを 
「負けないで!ふくしま!」

24.福島復興支援交流報告会を開催しました(11/26)

 コープおおいたでは、大分県と10月1日に契約調印を行なった「消費生活安全・安心推進事業にかかる風評被害防止委託契約書」に基づき、取引先コープ会の会員と10月7日から9日までの間、福島県の現状把握と産地生産者との交流を目的とした福島県被災地視察研修を行ないました。11月26日に大分県の関係者も参加し、福島復興支援交流報告会を実施しました。また、福島から4名の講師の方々をお招きし、今の福島の状況や心情を直接お聞きすることもできました。報告会で発表された一部のお話を、ご紹介させていただきます。


コープふくしま 宍戸常務の報告


コープふくしま 渡邊理事の報告


福島中央青果卸売株式会社 長島常務の報告


原田製油有限会社 原田専務の報告

今後も支援・交流を続けましょう! 今回の報告会の中で一番多かった感想が、「想像以上に復興が進んでいないこと」への驚きでした。震災から2年半ほど経過しているので、少しは復興した様子が見られるのでは?という期待を持って参加した方が多かったようです。一方、元気にグランドを走り回る子どもたちや、立派な実をつけていた高橋農園のリンゴの木など、希望が感じられる光景も印象的だったようです。福島に行って現地を自分の目で確かめてほしいというご意見も多くありました。
 あまり報道されなくなった「福島の今」を目の当たりにして、参加者それぞれの思いを語っていただきましたが、すべての方が、今後も継続的な支援・交流を続けていきたいと熱く主張されていました。


今後も仲間と力を合わせて
おいしいリンゴを育てます!

高橋勘重氏( 福 島 県 リンゴ生産者)
「皆さんが農園に来てくださった時、『福島のことをこんなに思ってくれているんだ』という嬉しい気持ちで胸がジーンとしました。そして、『おいしい!』と言ってリンゴを食べてくださったことも嬉しかったです。原発事故が起きて、『福島の果物は終わりか!?』と言われていました。当時は、人と会えばまず最初にセシウムの値のことを話していたものです。リンゴ栽
培を続けるために、マイナス4〜5℃になる極寒の2月に、高圧洗浄機でリンゴの木を1本1本除染しました。除染中の水がつららになるほど寒いなか、「どうしてこんなつらい作業を自分たちがしなければならないのだろうか!」と、怒りを感じたこともありましたが、皆さんの温かいご支援をいただいて、なんとか頑張ってきました。今では福島産の果物からセシウムはほとんど検出されていませんが、風評被害を払拭する厳しさを感じています。しかし、今後も仲間と協力して、皆さんに安心して食べていただけるおいしいリンゴを育てます」。

予約販売した福島県産のリンゴが500ケースを越える注文がありました。



この研修で体験したことを多くの人に伝えていきたい石田崇(コープおおいた)
「今回、放射線を測定する線量計を片手に、福島の各地を訪問しましたが、臭いも色もなく、線量計の数値でしか確認できない放射線の存在に恐怖を感じました。場所によって数値が変化する線量計、除染作業のために片側通行になっている道路、居住制限区域の人気のなさ、検問所や警察車両、傾いたままの住宅、生え放題の雑草、処理されないままのがれきなどを実際に見て、これまで感じたことのない、なんとも言い難い感覚をおぼえました。また、浪江町の「福島民報新聞プレスセンター」の中で、震災翌日の2011年3月12日の新聞が積み上げられたままになっていたり、JR浪江駅では大震災のため運行休止になったことを告げる案内板がそのままになっていたり、まだまだ震災の爪痕が生々しく残っているところも見られました。今回の研
修に参加して、自分にできることはほんのわずかなことですが、福島で見たこと、体験したことを一人でも多くの人に伝え、支援を広げていくことだと思いました。今後も、福島だけでなく東日本への支援を続けていくという決意をあらたにしました」。


交流会終了後 日生協連より依頼の「2013年度東日本大震災支援活動報告ビデオ」のビデオレターの撮影を行ないました。