ふくしま復興支援ブログ

コープおおいたとコープふくしま、交流の記録。

ふくしま交流会を通じて、福島と大分の心がつながりました!

(ご注意)ブログは最終更新記事が一番最初に表示されます。
一番最初から見たい方は、右の「カテゴリー」の番号順に見てください!
また、多くの方からのコメントをお待ちしております。記事下部の「コメント」から発言をお願いします!

コープおおいたでは、震災支援活動を以下の3つの柱で行なっています ①商品の買い支え支援活動 ②生産者や組合員どうしの交流支援活動 ③風評被害を防ぐ正しい知識を得るための情報支援活動です。

今回、②生産者や組合員どうしの交流支援活動を行なうため 8月24日(水)〜26日(金)まで、コープおおいたの組合員さんとお取引業者総勢37名と一緒に福島県へ「ふくしま交流会」に行ってきました。

今回、その様子をご報告します。

8月24日(水)
JA伊達みらい 交流会

JA伊達みらいの皆様、生産者の皆様、コープふくしまの組合員さん総勢68名の交流会となりました。


広い選果場 場内は甘い桃の香りでいっぱいでした。


コープふくしま理事長ご挨拶
「遠い大分から来ていただき、激励と感動を与えていただきまして誠にありがとうございました。」


JA伊達みらい組合長ご挨拶
「JA伊達みらいは、桃・あんぽ柿・きゅうり等の生産地です。これからもがんばっていきますので、ご利用のほどお願いします」


桃生産部会長ご挨拶
「桃の畑の面積は700〜800ヘクタール、生産者は1500名ほどいます。
3月11日を境に一変しました。でも例年以上のものに仕上げていこうと精一杯がんばってきましたが、他県では福島県産は扱わないなどの状況が多く、低迷を続けています。
今年でやめたいという生産者もいます。生産者の高齢化も進んでおり、平均65歳前後、70歳を過ぎている人は、この代で終わりなのでこの際やめたいという声もありますが、3年後、5年後に向けて、伊達ブランドをもう一度構築して、全国に発信していきたいと思います。」


コープおおいた専務挨拶
「一番の忙しい時期の中、盛大に歓迎していただいてありがとうございます。前回、打ち合わせでお会いした際、「一人でもご利用いただける方がおられれば、前を向いてがんばれるんだ」という言葉をいただきました。そのお言葉を胸に刻んで支援活動を行います。
この企画は今回だけではありません。今後支援活動を行なう限り、交流会を続けていきます。
手を携えてがんばっていきましょう。」


コープおおいた組合員理事より 組合員より寄せられた応援メッセージ(寄せ書き)をお渡ししました。


たわわに実ったおいしそうな桃


平成8年4月26日に皇太子様と雅子様が桃畑に花見においでになった記念碑の前で記念撮影。パチリ!


皇太子様と雅子様が歩かれた道は「ピーチロード」と名づけられました。

コープふくしまさんとコープおおいたの交流会、組合員さんとお取引業者さんが参加しました。

組合員さんより寄せられた福島支援指定募金100万円を復興支援金としてお渡ししました。


進行は、コープふくしまさんとコープおおいたの組合員理事


大分県の名物「吉野の鶏飯」と「鶏天」を食べていただきました。


吉野の鶏めしを紹介する吉野鶏めし保存会社長


この2品は福島の名物なのですが、すみません聞き逃してしまいました。
どなたか教えてください。


大分の紹介をプレゼンソフトでしていただきました。


福島ウルトラクイズ


福島弁について 両役員よりお題が出されました。
どんな方言だったのか忘れてしまいました。
どんなたか教えてください!


あかべこ と おきあがりこぼし
Wikipediaによると

赤べこ(あかべこ)とは福島県会津地方の郷土玩具である。
起き上がり小法師(おきあがりこぼ・おきあがりこぼうし)は、福島県会津地方に古くから 伝わる縁起物・郷土玩具の一つである。起姫ともいう。会津の人にとっては「赤べこ」の 次に馴染みのある郷土玩具である。
だそうです。


福島わらじまつりで踊られる「わらじ音頭」を全員で楽しく踊りました。


大分からのお土産「がんばろう東北! 負けないでふくしま!」特製焼酎

相馬市教育委員会
福島と大分を結ぶ東日本大震災復興支援 植樹贈呈式

震災当時 よく映像で見た「相馬市市役所」


コープおおいたより
組合員さんより寄せられた扇風機160台(8/26現在)、 豊後梅の苗木(各校)、花の種(各校へパンジー・ビオラ・なでしこ)
をお渡ししました。


多くの屋根がまだ修繕されていませんでした。材料不足と職人不足だそうです。


相馬市教育長のご挨拶
相馬市では、1000棟以上の流出家屋がありました。死者・行方不明者は460名と比較的少なかったです。これは消防団の活躍力によるものでしたが、消防団も10名が亡くなりました。死者の中には、そのうち19名の子どもたちもいました。
また、孤児と片親の子どもたちは合わせて28名ほどいます。

相馬市では将来を考えて、月額3万円を18歳まで支給することが決まりました。また、大学にいきたい場合は大学まで補助が出せるようになりました。

福島県では、地震津波のほかに放射能の問題があります。
学校では夏休み期間中 校庭の土の除去を行ないました。
数値は低いといっても、屋根や木の上や植え込み、雨どい、側溝などにたまっており、除去作業を行なっています。
現在の数値は低くなっていますが、大変心配されている保護者が多く、学校現場でも神経質になっています。

8月23日から2学期が始まります。まだまだ暑い日が続きます。大分さんからいただいた扇風機で心地よく勉強できるようになるのではと喜んでいます。
子どもたちの将来があるので出来る限りのことをやっていきたいと考えています。

5カ月過ぎましたが、われわれも子どもたちも元気です!
今後ともよろしくお願いします。

相馬市の被災地

海岸線が見えない内陸まで津波の被害がありました。


津波があった田んぼは塩害で田植えをすることができません。


壊れたままの車がたくさん放置されていました。


家の1階部分は柱だけ残して空洞になっています。


相馬市尾浜原地区の海岸沿い 多くの家や船が放置されていました。


このあたり(松川浦)海苔の養殖が盛んな地域だったそうです。


このあたりは9メートルの津波がきたそうです。
この建物で働いていたコープふくしまの組合員さんの友人は屋上に上って助かったそうです。2階部分もすべて空洞になっています。


この辺も泥と瓦礫で車は通らない状態でしたが、自衛隊の方が片付けました。地元の方は自衛隊の方に大変感謝しているそうです。


このあたりは民宿が多い地区でした。海岸沿いにはテトラポットがたくさんあるのですが、多くの方がテトラポットに引っかかって亡くなっておられたそうです(骨折して服が破れて)。

グーグルマップの衛星写真
http://maps.google.co.jp/
福島県相馬市尾浜須賀畑10
で検索すると見ることができます。

すべてが洗い流されています。残っているのは家の基礎のみ。絶句です。


膨大な量の瓦礫の集積場。5カ月の月日で雑草が生えてきています。後方に見えるのは火力発電所。電力不足解消のため年末までには1基が再稼動予定とのこと。

新地町 新地町教育委員会
福島と大分を結ぶ東日本大震災復興支援 植樹贈呈式新地町

コープふくしま理事ご挨拶
「全国の生協から支援をいただきましたが、組合員さんが直接来て交流していただけることを大変うれしく思います。」


コープおおいた専務理事挨拶
「大分の県木である豊後梅を贈呈させていただきます。
これから復興が進む過程とともに、豊後梅そして、新地の子どもさんたちが育つ過程を重ね合わせて、本日参加させていただいている組合員さん、お取引業者の皆さんそしてコープおおいたの組合員さん全員の思いを 生協の組合員は被災者の目となり口となって 同じ思い、同じ目線で伝えて行きたい 痛みを分かち合いたい、復興を支えて行きたい、これから長い時間がかかると思われますが、コープおおいたは、復興し続けるまで最後まで支援活動を続けていきたいと考えています。」


大分県木 豊後梅
花の種 パンジー・ビオラ・なでしこ
義捐金20万円
復興支援品として贈呈しました。


新地町長ご挨拶

新地町は8,300人の人口なのですが、110名の方が16メートルの津波で犠牲になりました。海岸沿いの住宅もすべて押し流されてしまいました。

家も流され、家族も失った方でも仮設住宅新地町に住めることが心のよりどころとなっています。
県外のスーパー等で「福島ナンバーの方は止めないでください」。そういう現実があります。

福島県産とだけで、商品の購入を控えられることが多発しています。そんな中、全国から福島を応援しようと協力していただいている方々もおられます。大変ありがたく思います。
16メートルの津波がきました。でも海と共生できる復興、町づくりを行ないたいと思います。

原子力発電所の事故によって 起こった様々な災難をわれわれは乗り越えなければなりません。これから先、復興した新地町を皆さんにお見せできるようにがんばってまいります。皆さんも今後ともご支援のほど、よろしくお願いいたします。」


手付かずのままの住宅
この先に「新地駅」がありました。駅と列車が流されて、一時期連絡が取れない状況にあったところです(乗員と乗客は津波の前に全員避難して難を逃れました)。
工事をしているトラックの運転手さんから、組合員さんが声をかけられたそうです。
「大分からきました」と答えると「福島は忘れられてきているので、帰ってからみんなに知らせて欲しい」と話されたそうです。


廃業した新聞販売店のお知らせ

8月26日(金)帰路 ゲリラ豪雨 羽田空港で立ち往生
8月26日(金)はほぼ岐路に費やしました。東京都内は渋滞のため速めの行動で、無事に羽田空港に着いたのですが、ゲリラ豪雨で出発予定時間3時50分が午後6時15分に
飛行機の中で2時間以上待機でした。疲れました。